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伯母に会いに行く途中、咲きかけた紫陽花が初夏のオレンジ色の日差しの中で眩しそうでした。
伯母は梅雨前の朗らかさで楽しみを見つけられたようでした。
会う度に亡くなった祖母に似てくる伯母が愛おしく思えるのでした。
もうすぐ梅雨。
水色の季節に紫陽花も大倫の花を咲かせるのでしょう。
葡萄はワインになったり、
レーズン、になったりしている。
生のままは余り食べないけれど、、高校生の時に高校野球を見ながら食べ続けていたからかな、、レーズンはずっと大好きです。
パンの中でも何処に居ても存在感があるなあと思います。
存在感のあるひと、はいいですね。
森に武器を落として裂けた木々を更に武器にして戦っていた人間。
兎も猫もそんな複雑なことはしません。
美しい森を作っている木々にそんなことはさせない。
この世に生まれて、みんな、ひとつの命を生きるだけ。
サリンジャーの其のシーンのような感じ。
輪になって手をつなぎ笑いながら過ごして生きていけるような丘に作品で皆を連れていきたいのです。
頭の中の頭にはずっとその光景が在ります。
父と最後に飲んだのは珈琲でした。
入院していた病院の近くの喫茶店。
ぎゅっとあの時間を抱きしめて生きていくのだと思います。
白いカップの珈琲の香りは白くて思い出せない。
生きていくと云うことは抱きしめる時間が増えていくことだと思います。
昨日の続きですが、エストライク先生のお宅に一緒に英語を習うことになった同い年の女の子は初めてのレッスンの日、大人びたワンピースを着て、窓際に座っていました。
私は彼女の洗練された佇まいに衝撃を受けました。
彼女の存在で初めて『洗練』と云うことばを体感したように思います。
私は『洗練』から遥か彼方に居たのでした。
父の知り合いの教会で中学生の頃、英会話を習っていたことがありました。先生はエストライク先生とおっしゃられて、神父様の奥様でした。
或る時は、神父様が大きな身体で焼けたばかりの小さなクッキーをオーブンから出してお皿に並べてくださいました。ちょっとカルチャーショックでした。
お庭にはとうもろこしが実っていてお人形のように愛らしく思えました。
ピアノの発表会には何度か出ました。
自分の曲だけを画用紙に貼って、表紙を作り、リボンで閉じて自分だけの楽譜のようにしていましたら、くすくすと笑われました。
そんなことをする子供は居なくて皆、本のまま持って来ていたのでした。
その頃のリボンはざわざわとした手触りの、金色が一本入っていたピンクのリボンで、綺麗に結べていなかったそのリボンのことをはっきりと覚えています。
邦題
『ヒトラー~最期の12日間~』
過去の映画ではなく、今も同じことが何処かで行われていると云う悲劇。
巻き込まれた方々の想いをいかなる時も心の箱に納めて生きたいと思う。
時空を超えている!と過日のweatherで綴りましたが、(或るアーティストと記載したのは宇多田ヒカルさんのことでした。)
身震いしたのでした。
同じ時代に生きていてよかったと思いました。
大晦日、が好きです。
大きく移り変わる感じ。
わくわく感がとても、です。
明日から酉年。
皆様が清い心で思う処に羽ばたいていけますように。
本年もありがとうございました。
来年もどうぞ宜しくお願い致します。
どうぞよいお年をお迎えくださいませ。
今年があと二日となりました。
遠くの方、近くの方、沢山の方々に温かい心を例年より一層いただいた年でした。
お返しできることは描き続けること、いつか何かの形でお返しさせていただこうと思っています。
謙虚な気持ちで。
想っていることの100分の1くらいしか言えなくて更に着地点が全然違う処に行くことが多々あります。
コミュニケーション力がないなあとつくづく思っています。
或る賞をいただいて感想を述べないといけない場面で、全く言葉が出ませんでした。
審査員の方が、
「べらべら話すことができたら絵なんか描いていないよなあ。」
と助け船を出してくださったのが嬉しかったのです。
絵を描く、と云う行為が幼い頃から好きだったのですが、中学生の頃になると何だかその行為が『格好悪い』と思ってしまって描かなくなりました。
理由は解らないのですが。
それからは何となく、の日々を送っていたのかも知れません。
そして美術系ではない大学に行ったのでした。
*絵の写真はインストグラムの方に載せています。
どうぞ宜しくお願い致します。
クリスマスの日に。
どんな想いでみんな。
この日を迎えていることでしょう。
形だけの改革は何の意味も持たない。
おひとりの母親の方が手記を書かれていましたが心痛を思うと心が止まります。
気持ち、が一番大切です。
年末になりあと一週間で大晦日です。
歳を重ねるのは好きなことです。
今年は父が亡くなった歳になり、父に対する親不孝が身に沁みました。
58歳のお正月を迎えられなかった父。
感慨深い年末です。
新入社員の方が店頭で変な勧誘の仕事をさせられていました。その変な仕事が『成績』になると云うことでした。
私は断りましたが心が重たくなりました。
おとなは一体何をしているんだろう?
一体何を学んできたと云うのだろう。
一度きりの人生に何をさせているのだろう?
まな板の上で左右の手が絡まってしまうような感じなのですが、お出しをとることは好きです。
冷蔵庫に昆布と煮干しを一晩つけて置く。
朝、冷蔵庫を開ける。
待ってくれている感じが好きなのかも知れません。
洋裁を習っている時代がありました。
生地選びが至福の喜びでした。
既製服があまりなかった時代です。
仕立てる折には小学生の私に母は生地選びを任せてくれました。
生地を見るとわくわくして心臓がばくばくしました。
ひとびとに鉄砲を向けているひとびとが暗い色の装いでテレビの中にいました。
場面が変わって逃げ惑う市民でした。
鮮やかなピンクの毛糸の帽子を冠った女の子が赤ちゃんを抱いた母親と思われる女性とこちら側に向かって走って来ました。
テレビは戦禍も色も鮮明に映し出す。
マドンナの世界ツアーに同行してお食事を作られている日本人の方が、自らの活動を、平和の為に、とおっしゃられた時、同じ気持ちだと思いました。
そんな大それたこと、と胸の内に閉まっていましたが、言霊、ってあるよ、と尊敬する方のおひとりにお聞きして、言葉にしようと思ったのです。
言葉にしましたら、聞いてくださった相手の方は、使命だと思います、と嬉しいことをおっしゃってくださったのでした。
読書は当たり前のことですから、『趣味は読書です』などとは言えない、と教えていただきました。
学生の頃は中間テストと期末テストの前になると本を読みたくなりました。
情緒のある文字を見る、と云う行為が好きなのだと思います。
今日は二十四節気の第二十一。
過日、十一月に降る雪としては五十四年振りと云う東京の街に降る雪を見ました。
東京の街に降る雪は沢山のひとびとの心にどのように降ったのでしょう。
ロマンティックな思いがけない贈り物だといいな、と思います。
スティングさんが今朝のテレビに出ておられました。
同じ想いでした。
靴が大好きです。
必需品であって主張できる。
履いていらっしゃる靴でその方の感じが解るように思えます。
若いときはヒールのある靴を履いて歩いていましたが、今ではヒールのある靴を履くことはなくなりました。
スカートもすっかり出番がなくなりました。
今日は母の82歳のお誕生日です。
自転車には乗れなくなり、歩き易い靴が必需品となりました。
歩き辛い方にもお洒落な靴があれば、と思います。
『バッグと靴を良いものを持っていればお洋服がよく見える。』
アン・ルイスさんが本に昔々書いておられました。
ずっとそのことは頭にあります。
大学生の頃にブランドブームの波が押し寄せ、神戸に度々お買い物に行きました。唯々、ブランドのマークが入っていれば良いもの!と勘違いしていたのでした。
今愛するバッグは、本当に好きなブランドと、江面旨美さんとおっしゃる方が創られているバッグです。
昼と夜では脳がチェンジしてしまっています。
今まではあまりなかったのに。
ひとりで夜道を歩き出して近くの気がかりを見つけ、どんどん遠くまで行ってしまいます。
スーダンでは兵士にさせられる子供たち。
日本では虐待の子供たち。
クリスマスに亡くなった方。
真実のクリスマスが皆にきますように!
ぼんやりと。
何だか少しぼんやりと。
心根の美しいひとはお顔に出ますよね。
話さなくても表情に出ますよね。
玄関の横に植えた柊がコートも着ないで元気よく、クリスマスケーキのようです。
祖父は私が生まれる前から母に、女の子が生まれたらピアノを買いましょう、と言ってくれていたそうです。
なのに私は練習が嫌いで何とかして逃避しようと考えていました。
ピアノの先生は、屋根が地面まであるようなモダンなお家に住まれていて、当時藁ぶき屋根に住んでいた私にはとても眩しく、お手洗いでさえピカピカと真珠のようでした。
先生はユーモアがあられて、エイプリルフールのお稽古の日には「お顔に墨がついているよ!」とおっしゃられて私は顔を慌てて擦っていたのでした。
ピアノの先生には、リズム感で生きることの楽しさを教えていただいたように思えます。
御堂筋の銀杏が、冬が来る前に早く早く、と緑色の服を脱ぎ捨てる。
黄色の服も脱ぎ捨てられて御堂筋は騒がしい。
私は地下から出て緑色と黄色に心奪われました。
先日お会いした黄色の靴を履かれていたいつも飛び切りのセンスの女性のことを思い出しました。季節の先取り!銀杏の葉っぱを履いていたんですね。
岡本太郎さんに話かけられた気持ちがしたなんて失礼ですね。
「『幸せ』、なんて言ったことはない。
隣の人が苦しんでいるのに、『幸せ』、なんて言えない。
世界中の皆が幸せであれば『幸せ』、と言える。」
どうか被害がないようにと祈るばかりです。
鳥のように皆が空を飛ぶことができたなら。
作品に想いを込めて制作することしかできませんが、
其処はぶれることなくしっかりと、タオルを絞るように心を絞ります。
高校時代にアイビーの嵐が吹き、
その頃には私の街にもVANのお店がありました。
其処に行くとちょっと大人になった気持ちがして高揚したのでした。
私は丸顔で痩せていることにコンプレックスを持っていましたが、お洋服が意思を持ち、迎えてくれているのでした。
バービー人形とリカちゃん人形を連れて幾度となく祖母の家に遊びに行きました。
祖母が「かばんからチョコンとお人形の顔が出ていたね~。」
と後年幾度となく言っていました。
人形と云うことばを聞く度に祖母の声を思い出します。
祖母も亡くなり、人形も何処かに行ってしまいました。
高橋昭子さんの創られる作品は忘れていた人形への想いを呼び起こしてくれる覚悟を決めた作品です。
2016年11月18日から27日まで個展を開催されます。
会場は大阪市のTRUCK です。
新しいことをしたくてうずうずしています。
来年の個展のテーマは『服』に決めました。
長年、いつかはお洋服の個展がしたいと思っていました。
街を歩いていて、お洒落な方を見つけると幸せな気持ちが致します。
甘い幸せを持ち帰っていただけるような展覧会にしたいと思っています。
七並べ。
頭の良い従妹が必ず勝ちました。
手持ちのカードの並べ方があるらしく、賢さが窺えました。
またね、と云って従妹は帰らぬ人となり、並べたトランプは鍵のかかった箱に入ったままになりました。
随分経って伯母が中学校の制服を用意していた、と聞きました。
トランプ、と聞くと七並べを思い出します。
木漏れ日がカーテンで囁く。
光と影の優美な会話を見つめながら、私にできることは何なのだろうと考える。
展覧会の意味は、
平和と
『思考を止めないで』。
何かを考えるきっかけになれば、と思っています。
Coffeeと云うタイトルのマティスの絵を初めて観ました。
うっとりしました。
色の配置。
人物。
モロッコを旅したこともマティスの心を動かしたのでしょう。
京都の石庭のような人物をいつか描いてみたいです。
猛暑の中、玄関に蒔いた打ち水をアゲハチョウがごくごくと飲んでいました。
随分と喉が渇いていたのでしょう。
ひらひらと飛んでは何度も打ち水に口を寄せていました。
蝶が水を飲む姿に感激しました。
イラストレーションスタジオにまだお世話になっていた頃、毎日3時になると先生が私達アシスタント2人を珈琲に誘ってくださいました。
どんなに忙しくても毎日!でした。
至福の時間でした。
その時間からも多くのことを学ばさせていただいたと思います。
夏の思い出。
父も一緒に行った最後の夏の砂浜は久美浜でした。
暗かったお部屋のことを覚えています。
私は白地に赤と黒の格子の入った、母のお手製のスーツでした。
傍らの、
原発の存在さえ知りませんでした。
小林麻美さんが25年振りに姿を見せてくださいました。
20代の頃、お洒落について教えてくださった方のおひとりです。
本屋さんでひと際美しく、風のように雑誌の表紙で微笑んでおられました。
ひとりひとりそれぞれの25年。
細いヒールのパンプスを25年振りにいいなと思いました。
学生が使い捨ての労働をさせられている。
これからの人の大切な時間を奪ってはいけない。
学んで生きている人。
真摯に向き合うこと、そうしていきたいと思う。
私は何かできることをしていきたいと願う。
雨風の中、蜻蛉が自分を試すかのように、その木でいちばん雨風が当たるだろうかと思われる枝につかまっていました。
自分の力量が解ったのか暫くしてから見ますと枝だけが風に吹かれていました。
宮沢賢治さんの『風の又三郎』を読みました。
今夜は天の川が見られそうですね。
伯母はすっかり子供みたいになり、するすると暑さなどとは無縁の部屋うちのひととなりました。
昔のひとは、梶の葉に夜露でうすめた墨でお願い事を書いたそう。
伯母は何をお願いするのでしょう。
母方の祖母は食べ物としての蛸が嫌いでした。
形が嫌いだったのでしょうか?
幼子のようなところのあった祖母のことだから、きっと水盤が舌にひっつくとで思っていたのではないかしら。
亡くなってしまったので今ではその理由を聞けなくなってしまいました。
もっとお話すればよかったのになと今更乍ら思います。
私は時々絵の中に蛸を登場させています。
便りを出しに行きましたら、ツマグロヒョウモンを行きと帰りに一頭ずつ見かけました。梅雨の晴れ間の青空の応援でオレンジ色に黒い模様の蝶は嬉しく舞っておりました。
命を懸けて為すべきことは尊いことでありますように。
今年も今日で半年が過ぎようとしています。
今年の目標さえ忘れてしまったぼんやりの私。
心を届けるお仕事をなさっておられる方と会い、私もそうでありたいと深く思いました。その方は木のように同じ処に立ち、美しい花を咲かせておられるのでした。
若いときはあちらこちらと目移り致しましたが、心惹かれるものがほぼ決まってきてしまったように思います。
変わらない美しい佇まいのものが好きなように思います。
制作も表面では変わっていきながら根底では変わらないものを目指していきたいと思います。
梅雨の楽しみは雨音、時々の蛙の喜びの歌、雨に濡れた緑。お洒落な水たまり。
ちょっと寂しいのはあの柔らかで、鮮やかな黄緑色の蛙に出会えなくなったこと。
けれども九州地方では豪雨となり土砂崩れが起きています。
小学生の頃はまだ住んでいた街にも映画館があり、通っていた小学校の教育で『ひめゆりの塔』の映画を見に行きました。あまりの悲惨さに耐えきれなくてお手洗いに行きましたら何人かの女の子が既に泣いていたのでした。
映画は映画ではなく本当に沖縄であったことなのです。
絵もその方そのものが出ますけれど
文字もその方そのままが出ますね。
上手下手ではなくてその方の人となりが出ます。
最近は活字ばかりで嘘と誠が混ざり合っていますが文末からはお調子者がひょっこりこちらを窺ったりしています。
お陰様で展覧会を無事に終了させていただくことができました。
ご高覧いただきました皆様、お気にかけていただきました皆様、誠にありがとうございました。
作品をご高覧いただきましたことが無駄になりませんよう更に進んでお返しができるようにしたいと思っています。
ご高覧いただいた皆様ありがとうございます。
心より感謝申し上げます。
本日最終日となりました。
何かを届けられたら幸いです。
前進してお返しができたらと思っています。
人生はあらゆる命で一度きりです。
今日は展覧会二日目です。
私は芸術大学を卒業したわけでもありません。
幼い頃、家族で休日出かけると云えば、美術館でした。その影響だと思いますが絵を描くことが好きでした。
けれども中学生の頃からは、絵を描くと云う行為からは遠ざかってしまいました。
バブルの頃は、会社に勤めていました。
ご縁をいただき、イラストレーション スタジオをされておられた先生とお知り合いになれたのが本当に幸運でした。ご迷惑も考えずに先生のところに雇っていただこうと押しかけました。よく素人の私を雇ってくださったと思っています。
こうして今、ギャラリーの方にお声をかけていただき展覧会をさせていただけるのもギャラリーのオーナーの方、先生をはじめ、これまで出会えた方々、全ての方のお陰だと感謝しています。
いつもありがとうございます。
少しでも前に進め、心に届く作品を制作していくことがせめてもの私にできるご恩返しになるのだと思っています。
本日、展覧会の搬入を致します。
来ていただく方の気持ちの前で茅の輪くぐりが倒れてしまっているような気持ちです。
何とか力いっぱい込めて立てようと思います。
予定に入れてくださっている方に深く感謝を申し上げます。
バナナとプリンが食べたいと云いましたので伯母に会いに行きました。
24歳の母が私を産んだ病院の横を通り過ぎた時、
産後の里帰りを済ませた母が私を連れて家に帰るときは情けなくて涙がポロポロこぼれた、と祖母に生前幾度となく聞かされたことを思い出しました。
その頃の祖母の歳になった私はその病院の曲がり角を曲がりました。
伯母は会うたびに祖母にだんだん似てくるのでした。
帰りの電車の中で向かいに座った若者はずっとアイフォンを眺めていました。
彼がおじいさんになった姿を今は誰も想像しないだろうなと思いました。
車窓から梅雨前線を乗せた青空が四角く見えていました。
子供の頃、庭の草引きはバケツ一杯で50円でした。
蚊に刺されながら、父と大地に向かっていたことを初夏に懐かしく思い出します。私は父が亡くなった歳になり、改めて父の分も生きようと考えます。
空からは永遠にみんなが見てくれているように思います。
大地の匂いも永遠に香しい。
演奏会に行きました。
音楽は天国に届く!と思いました。
天国に届く作品を生み出そうと思います。
指揮者の西本智実さんには魅了されます。
自分と向き合ってきた方だけが到達できる場所に居られます。